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『音楽表現学』目次と要旨一覧

   要旨は目次の後に掲載しています。

音楽表現学 Vol. 3

【目次】

2005年11月30日

[原著論文]
権藤 敦子
唱歌教育におけるわらべうた曲集の意味
–教材化への視点を中心に–

阿部亮太郎
遠山一行の武満徹論について
~「言語の拒否」から「言語の不可避性の認識」への変化の洞察~

[資料論文]
鈴木慎一朗
国民学校発足期の師範学校における鑑賞指導
–『標準師範学校音楽教科書』の分析と香川県師範学校の事例を中心に–

[第3回大会〈アクアブルー大会〉報告]
〈基調講演〉
ギニャール・旭西
筑前琵琶の表現と技法
–超自然描写をめぐって–

〈シンポジウム〉
小西 潤子/他
静岡の茶歌再創造と現代的奏演
–市民参加型をめざして–

〈研究発表Ⅰ-A1〉
今 由佳里
身体動作を伴った子もり歌の表現学習

〈研究発表Ⅰ-A2〉
加藤 晴子
歌唱目的と歌唱表現の関係

〈研究発表Ⅰ-B2〉
河本 洋一
《最後の歌》の研究

〈研究発表Ⅰ-B2〉
茂木 美和
日本におけるH.ルニエの『ハーブ教程』の有効性について

〈研究発表Ⅰ-C1,2〉
谷口 雄資
楽譜から音楽を創り出そう!

〈研究発表Ⅱ-A3〉
新山王政和
子どものイメージング活動を核に据えた授業実践の試み

〈研究発表Ⅱ-A4〉
鈴木慎一朗
師範学校における鑑賞指導

〈研究発表Ⅱ-B3〉
山田 啓明
ピアノ演奏におけるブラインド・タッチ習得に関わる考察

〈研究発表Ⅱ-B4〉
阿方 俊
電子オルガン副科学生によるピアノ協奏曲コンサート

〈研究発表Ⅱ-C3〉
深井 尚子
ベートーヴェン後期作品群への過渡的作品の考察

〈研究発表Ⅱ-C4〉
阿部亮太郎
三善晃の音楽に於ける意味生成の契機としての差異と,音楽的時間のあり方

〈研究発表Ⅲ-A5〉
阿部 祐治
国境を越えて変容する音楽

〈研究発表Ⅲ-A6〉
村尾 忠廣
フラットシンギングから〈三味線の糸の上に乗る〉シャープシンギングへ

〈研究発表Ⅲ-B5〉
山田 克己/川端 美穂/岡 健吾/土門 裕之
ミュージカル活動における指導体制改革とその効果

〈研究発表Ⅲ-B6〉
川端 美穂
ミュージカル活動の人間力育成効果

〈研究発表Ⅲ-C5,6〉
企画・司会・パネリスト:安田 香
パネリスト:佐野 仁美/高久 暁/阿部亮太郎
  パネルディスカッション:作曲家における異文化受容

〈研究発表Ⅳ-C7,8〉
山名 敏之
モーツァルトのヴァルター・ピアノによるモーツァルト

日本音楽表現学会会則

日本音楽表現学会編集委員会規程

日本音楽表現学会機関誌『音楽表現学』投稿規定

成果発表・研究会細則
編集後記

 

【論文の要旨】

唱歌教育におけるわらべうた曲集の意味
―教材化への視点を中心に―

権藤 敦子

【要 旨】1872(明治5)年の学制によって、日本に「唱歌科」が誕生することになった。その課題として、雅楽、俗楽、西洋音楽を混和すること、教育の一課として音楽を位置づけること、新しい国楽を興すことが提案される。その課題に取り組むべく唱歌科の教材として新作の唱歌が作られていくなかで、在来の日本の音楽が取り込まれることはほとんどなかった。わらべうたについても、1930年代になって相次いでわらべうた曲集が作られるが、それは、国家的な郷土教育振興の働きかけによるところが大きかった。教師のなかに、国楽創成が達成されていないという意識はあり研究をする者もあったが、唱歌教育が普及し、教材としての唱歌の強制力も影響して、彼らのわらべうた教材化は唱歌の音楽的要素や指導方法を基準としたものとなり、わらべうたの本来の音楽的特徴や、それぞれの地域に住む子どもの音楽表現としての顧慮を行うには限界があった。

キーワード:唱歌教育、わらべうた、国楽論、郷土教育、教材化

 

遠山一行の武満徹論について
─「言語の拒否」から
「言語の不可避性の認識」への変化の洞察─*

阿部 亮太郎

【要 旨】 遠山一行の武満徹論「武満徹と戦後」は、武満作品を単に客観的に観察することを避け、自分自身を棚上げせずに論じることで、武満自身の「こと」の重層性を浮き彫りにする。遠山は、武満は最初「言語としての音楽」を拒絶しようとした、と言っているが、ここでの「言語」は、単なる音楽の語法と同義ではない。「言語」とは、「意味」「意識」あるいは「世界」の契機のことであり、「言語の拒否」から「言語の不可避性の認識」への変化の洞察こそ、遠山が武満に見出した、音楽というものの本質なのではないか。
 なにゆえ、遠山は60年代末に武満晩年の作風を予言しえたのか、その後の武満論が見落としたものは何か、また音楽について語ることの基本姿勢についても考える。

キーワード:武満徹、「こと」の重層、言語としての音楽、言語の不可避性

 

国民学校発足期の師範学校における鑑賞指導
-『標準師範学校音楽教科書』の分析と香川県師範学校の事例を中心に-

鈴木 慎一朗

【要 旨】 本稿は、「師範学校教授要目」やそれに基づいて作成された教科書における鑑賞指導に関する内容を概観した上で、国民学校発足期(1941~45年)の香川県師範学校における事例を中心に鑑賞指導の様相を検討しようとするものである。判明した点は以下の通りである。
1) 1943(昭和18)年の「師範学校教科教授及修練指導要目」では、鑑賞指導の方法として「演奏、音盤、放送等」が挙げられ、日本音楽を重要視した内容になった。しかし、これを受けて作成された国定教科書である『師範音楽 本科用巻一』には鑑賞教材は掲載されていない。また、戦時下ということもあり、実際には「師範学校教科教授及修練指導要目」の内容は完全実施されなかったと考えられる。
2) 1931(昭和6)年の「師範学校教授要目」に基づいて作成された黒沢・小川編『標準師範学校音楽教科書』(1938)では59曲の「鑑賞用名曲」が掲載されている。ここでは西洋の名曲が中心で、ロマン派の音楽が74%を占める。
3) 香川県師範学校の鑑賞指導では、『標準師範学校音楽教科書』に基づき、教師の独唱を用いた鑑賞とSPレコードを用いた鑑賞の方法が採られていた。昭和10年代に普及した交響・管弦楽曲のSPレコードも使用されている。授業の進め方については、田辺尚雄の提唱する「解説法」と「静聴法」のどちらかで進められていた。また、生徒たちの反応は、師範学校入学前には鑑賞指導を受けていなかったことも影響し、評判はよかった。

キーワード:『標準師範学校音楽教科書』、SPレコード、黒沢隆朝、鑑賞用名曲、
「国民学校芸能科音楽」